登せもの(のぼせもの)って何?江戸から上方へ運ばれた物品の種類と歴史的背景

登せもの

江戸時代、江戸から京都や大坂などの上方へ向けて送られた物品は「登せもの(のぼせもの)」と呼ばれていました。この記事では、登せものの具体例や歴史的背景、上方経済に与えた影響などについて詳しく解説します。

スポンサーリンク

登せものとは

登せものとは、江戸時代に江戸から上方(京都・大坂など)へ向けて送られた物品のことを指します。「登せ」という言葉は、江戸から上方へ登る方向を意味しています。

上方は古くから文化や産業が発達した地域でしたが、江戸時代には江戸の経済力が急速に成長しました。登せものは、江戸の特産品や江戸で人気の品物を上方に供給することで、両地域の経済的結びつきを強める役割を果たしました。

登せものの具体例

登せものには、様々な物品が含まれています。以下は、登せものの具体例です。

  1. 海産物:江戸前の海で獲れた魚介類が、上方の人々に珍重されました。鮪(まぐろ)、鰹(かつお)、海老(えび)、鮑(あわび)などが登せものとして送られました。
  2. 農産物:江戸近郊で生産された野菜や果物も登せものの一部でした。代表的なものに、江戸崎蓮根(えどさきれんこん)や足立菜(あだちな)などがあります。
  3. 工芸品:江戸で発達した職人技術によって生み出された工芸品も、上方で人気を博しました。江戸切子(きりこ)や江戸木目込人形(きめこみにんぎょう)などが登せものとして知られています。
  4. 書籍・版画:江戸で出版された書籍や浮世絵などの版画も、上方の文化人や収集家に珍重されました。

これらの品物は、上方の人々に江戸の文化や風土を伝える役割も果たしました。

登せものと江戸時代の物流

登せものは、江戸時代の物流システムの中で重要な位置を占めていました。江戸は日本の政治・経済の中心地となり、上方との経済的な結びつきを強める必要がありました。登せものは、江戸の特産品や人気の品物を上方に供給することで、この結びつきを支えました。

また、登せものの輸送には、東海道や中山道などの五街道が利用されました。これらの交通路の整備は、物流の効率化に大きく貢献しました。

登せものが上方経済に与えた影響

登せものは、上方の経済や文化に大きな影響を与えました。江戸から運ばれた海産物や農産物は、上方の食文化を豊かにしました。また、江戸の工芸品や書籍、版画などは、上方の文化人や収集家の間で高い評価を得ました。

登せものは、江戸と上方の経済的・文化的な交流を促進し、両地域の結びつきを強めました。この交流は、日本の経済や文化の発展に大きく寄与したのです。

まとめ

登せものとは、江戸時代に江戸から上方へ運ばれた物品全般を指す言葉です。海産物、農産物、工芸品、書籍・版画など様々な品物が登せものとして上方に送られ、上方の経済や文化を豊かにしました。登せものは、江戸時代の物流システムの中で重要な位置を占め、江戸と上方の経済的・文化的な結びつきを強めました。

タイトルとURLをコピーしました