私たちが当たり前のように読む「新聞」。そのルーツをたどると、なんと紀元前の古代ローマにまでさかのぼることをご存知でしょうか?
この記事では、新聞の起源から世界初の近代新聞、日本での発展と現代における意義までを、わかりやすく解説します。
結論:新聞は古代ローマの「掲示板」から始まり、17世紀ヨーロッパで近代的な形に
情報を社会に伝える仕組みとしての新聞は、古代ローマの公的掲示板「アクタ・ディウルナ」に端を発し、1605年のヨーロッパで現在に通じる「印刷による定期発行物」が誕生しました。日本では明治期の近代化とともに新聞文化が定着しました。
アクタ・ディウルナ:新聞の原型だが「公報」に近い性格
最も古い新聞の原型とされているのが、紀元前59年頃のローマ帝国で掲示されていた「アクタ・ディウルナ(Acta Diurna)」です。
これは法令、政治、戦争、祭礼などの情報を石や金属板に刻み、公共の場に掲示したもので、「日々の出来事(Daily Acts)」という意味を持ちます。
ただし現代の新聞のように「印刷された複数部数の頒布物」ではなく、政府が発信する掲示形式の官報であり、「新聞の原型」ではあるものの、性格は異なります。
世界初の近代新聞:1605年、ストラスブールで発行された『Relation』
現存する中で「近代新聞の原点」とされているのが、1605年に神聖ローマ帝国のストラスブールで発行された『Relation』です。
この新聞は:
- 定期的に発行され(週刊)
- 印刷により大量生産され
- 政治・経済・国際ニュースなど幅広い話題を扱い
- 販売という形で流通
していた点が、現代新聞の要素を初めて満たしたとされ、一般に「世界初の新聞」と評価されています。
各国での新聞発展:市民の情報源として拡大
17世紀以降、ヨーロッパ各国で新聞が次々に登場します。
- 1631年:フランス『ラ・ガゼット(La Gazette)』
- 1665年:イギリス『オックスフォード・ガゼット』
- 1704年:アメリカ『ボストン・ニューズレター』
18世紀になると新聞は市民社会の一部となり、識字率の向上とともに影響力を強めていきました。
日本での新聞の誕生と発展
日本で最初に新聞が発行されたのは1862年の『官板バタビア新聞』。これは長崎でオランダ語新聞を翻訳し、発行されたものでした。
1871年には、日本語による最初の本格的日刊新聞『横浜毎日新聞』が誕生し、明治政府による近代化とともに新聞文化が急速に普及していきます。
江戸の出版流通と異文化交流や蘭学医と翻訳文化の発展も、新聞登場の素地を形づくった背景といえます。
現代の新聞とその価値:デジタル時代における信頼性の源
現在では紙媒体の購読が減少し、スマートフォンやパソコンでの閲覧が主流になっていますが、新聞社による調査報道・特集記事・検証取材などは今もなお社会的意義が大きいとされています。
特に画像報道や記録性の面では、写真と映像文化の発展とも密接な関係を持ち、事実の記録と拡散に寄与しています。
まとめ:新聞の未来は「形式を超えて機能を残す」
新聞とは単なる「紙のメディア」ではなく、社会の出来事を記録し共有するためのインフラでした。形は変われど、その役割が求められる限り、新聞の本質は残り続けます。
情報の信頼性と検証性を重視するなら、新聞の成り立ちを知ることは、私たちの情報リテラシーを高める第一歩となるでしょう。