「相撲って昔からあるっていうけど、具体的にはいつから?」「神話の中の話と、現代の大相撲ってどうつながってるの?」
そんな疑問を感じたことはありませんか?
この記事では、日本の国技である相撲がどのように誕生し、どのように発展してきたのかを、神話から現代まで一気にわかりやすく解説します。
また、土俵に塩を撒く意味や力士の階級制度についての関連記事も紹介しますので、あわせて相撲の魅力を深掘りしてください。
結論:相撲は神話にルーツを持つ、日本最古の武道文化の一つ
相撲の起源は『日本書紀』や『古事記』に記された神話時代にさかのぼり、7世紀には宮中行事として公式に記録されています。その後、武士文化や庶民の娯楽として定着し、江戸時代には現在の大相撲の原型が完成しました。明治以降は近代化され、戦後には国技としての地位を確立。近年では国際的にも注目を集めるスポーツとなっています。
神話にみる相撲の原型
相撲の最古の記録は、『日本書紀』に登場する神々の闘い、特に建御雷神(タケミカヅチ)と建御名方神(タケミナカタ)の力比べに見ることができます。
これは「力の勝負=国の支配権を決める戦い」という意味合いを持ち、相撲がただの競技ではなく神事として始まったことを示しています。
また『古事記』では、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の力比べの逸話が登場し、こちらが「人間同士の相撲」の原型とされています。
奈良・平安時代:宮中行事としての「相撲節会(すまいのせちえ)」
奈良時代には天皇の前で力士たちが技を競う「相撲節会」が定例行事に。
平安時代になると貴族階級にまで広がり、『枕草子』や『源氏物語』にも相撲の記述が見られます。
中世:武士と神社が相撲文化を支えた時代
鎌倉・室町時代になると、相撲は武士の鍛錬や神事として重要視され、寺社で行われる「草相撲」が盛んになります。
この頃から、奉納相撲という形で神前での勝負=神への祈願や感謝が定着していきます。
江戸時代:大衆化と番付制度の確立
江戸時代に入ると、相撲は民衆の娯楽として大流行。1684年には力士の番付表が登場し、東西の対抗形式や階級制度が定着していきます。
1756年には初代横綱・明石志賀之助が誕生し、格式の高い「横綱土俵入り」も始まりました。
このような相撲のヒエラルキー構造は現在にも受け継がれており、幕内から前頭、十両、幕下といった階級制度が存在します。詳しくは「幕内って何?相撲の序列と最高位の意味をわかりやすく解説」をご覧ください。
明治〜昭和:近代スポーツとしての整備
明治時代には「日本相撲協会」が設立され、相撲は近代的なスポーツへと変化。昭和にはテレビ放送なども普及し、相撲人気は全国区に。
戦後は「国技館」が建てられ、名実ともに日本の国技としての地位を確立しました。
現代:国際化と外国人力士の台頭
現在ではモンゴル出身の朝青龍や白鵬など、外国人力士の活躍が著しく、大相撲は世界的な注目を集めています。
とはいえ、相撲は今なお日本古来の伝統を重んじる神事的側面を色濃く残しています。
たとえば試合前に行う「塩撒き」も、神聖な儀式の一つです。土俵を清める意味を持ち、神事としての相撲のルーツを今に伝えています。
詳しくは「相撲で土俵に塩を撒く意味とは?由来や目的をわかりやすく解説」でご確認ください。
まとめ:相撲は神話から現代まで続く、日本人の魂そのもの
- 神話から始まった相撲は、神事・武道・娯楽として多様に進化
- 江戸時代に大衆化し、現在の大相撲の基礎が確立
- 近代化とともに国技としての地位を確立し、世界へと展開
- 伝統的な儀式や序列制度は今も受け継がれている
相撲は単なるスポーツではなく、日本文化の根幹を成す総合芸術とも言える存在です。
神と人、過去と未来をつなぐこの「国技」を、これからも多くの人に知ってほしいと願っています。