相撲の起源
相撲の起源は古く、日本神話にまでさかのぼります。『日本書紀』には、神々の角力(すもう)が登場します。例えば、タケミカヅチ(建御雷神)とタケミナカタ(建御名方神)が出雲の国で戦ったという神話があります。また、『古事記』にも、ノミ(野見宿禰)とタイマノケハヤ(当麻蹶速)の力比べの様子が描かれています。
古代の相撲
歴史的な記録では、7世紀頃から相撲に関する記述が見られます。『日本書紀』には、642年に朝廷で相撲の試合が行われたことが記されています。奈良時代には、宮中で「相撲御覧(すまいのごらん)」と呼ばれる行事が行われ、天皇の前で力士たちが技を披露しました。平安時代になると、貴族の間でも相撲が人気を博し、『源氏物語』や『枕草子』にも相撲の様子が登場します。
中世の相撲
鎌倉時代には、武士の間で相撲が盛んになりました。源頼朝や北条時宗など、多くの武将が相撲を奨励したと言われています。室町時代になると、京都や奈良の寺社で「草相撲(くさずもう)」が行われるようになりました。草相撲は、神事として寺社の境内で行われる相撲で、力士たちは神に奉納するために技を競いました。
近世の相撲と力士の登場
江戸時代になると、相撲は大衆文化として発展しました。各地で興行が行われ、力士たちは人気を集めました。1684年には、初めて力士の番付が作られ、東西の力士が番付順に並べられました。また、1756年には、初代横綱の宝山が誕生しました。宝山は、横綱土俵入りを行ったとされる最初の力士です。
江戸時代後期になると、力士の中には、ライバル関係にある東西の「イチモン(一門)」に属する者もいました。有名なライバル関係としては、東の「出羽ノ海一門」と西の「二所ノ関一門」があります。
明治時代以降の相撲
明治時代に入ると、相撲は近代スポーツとしての体制を整えていきました。1884年には、「大相撲」の名称が初めて使われ、1909年には、「日本相撲協会」が設立されました。また、1900年代初頭には、初めて外国人力士が登場しました。
第二次世界大戦後、相撲は日本の国技として再び脚光を浴びました。1953年には、力士の吉葉山が、戦後初の横綱に昇進しました。1968年には、初めて外国人力士の横綱が誕生しました。ハワイ出身のタカミヤマ(高見山)です。
現代の相撲
現在、大相撲は年に6回、各地で開催されています。日本の伝統文化を象徴するスポーツとして、国内外から注目を集めています。近年では、モンゴル出身の朝青龍や白鵬など、外国人力士の活躍が目覚ましく、相撲は国際的なスポーツへと発展しています。
相撲は、神事に由来する日本発祥の武道であり、長い歴史の中で発展を遂げてきました。古代から現代まで、日本文化に深く根ざした相撲は、これからも日本の国技として世界に親しまれていくことでしょう。