「雅楽って、なんとなく難しそう」「名前は知ってるけど、どういう音楽かはよく分からない」
そんな印象を持っている方も多いのではないでしょうか?
雅楽(ががく)は、日本の宮廷で演奏されてきた伝統音楽であり、1000年以上にわたって受け継がれてきた貴重な文化遺産です。この記事では、雅楽の名前の意味や由来、歴史、そしてどのようにして日本に広まり、今日まで継承されてきたのかを、できるだけわかりやすく解説します。
結論:雅楽は中国・朝鮮半島由来の音楽が日本で独自に発展した、日本最古の音楽文化
雅楽のルーツは古代中国・朝鮮半島にあり、日本では5〜6世紀頃に伝来。その後、平安時代に宮廷儀礼と深く結びつき、日本独自の演奏体系と美意識が加わって独自の音楽として確立されました。今日では、宮内庁楽部や東京藝術大学などで保存・継承されています。
「雅楽」という言葉の意味と由来
「雅楽」は、「雅(みやび・ただしい)」と「楽(がく・おんがく)」からなる熟語で、文字通り「正しく優雅な音楽」という意味です。
これは、中国の儒教的音楽観に由来しており、「俗っぽくない、高貴な音楽」として宮廷儀礼や国家の祭祀にふさわしいとされたものです。日本でもこの思想が取り入れられ、天皇や貴族の場で演奏される荘厳な音楽として定着していきました。
雅楽のルーツ:中国と朝鮮半島から伝わった古代音楽
雅楽の起源は、中国の「雅楽」(周代の礼楽)や、朝鮮半島の古代国家・百済から伝来した楽舞文化にあります。
- 5世紀ごろ:中国から儒教・仏教とともに音楽文化が伝わる
- 6世紀:百済からの渡来人が楽器や演奏法を伝える
- 7世紀(飛鳥〜奈良時代):国家が制度として雅楽を取り入れ、「楽所(がくそ)」を設置
雅楽の編成は、舞楽(舞を伴う演奏)と管絃(器楽のみ)の二系統に大別されます。使われる楽器は「笙(しょう)」「篳篥(ひちりき)」「龍笛(りゅうてき)」など、日本独特の音色を持つものばかりです。
平安時代:日本独自の雅楽が確立された時代
雅楽がもっとも整備されたのは、平安時代(794年〜1185年)です。この時代、日本は外来文化を取り入れつつ、独自の文化を築こうとしていました。
宮中には「楽所(がくしょ)」が設置され、雅楽専属の楽人(がくにん)が世襲的に育成されるようになります。雅楽は、国家儀礼や祭祀、婚礼、宴会など、あらゆる「公的な音楽」として活躍しました。
この頃、日本独自の演奏様式や曲目が整備され、「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」や「催馬楽(さいばら)」など、純日本風の歌舞も雅楽に取り込まれるようになります。
雅楽の発展に貢献した人物たち
雅楽の保存と発展に貢献した人物は数多くいますが、代表的な人物は以下のとおりです。
- 藤原道長(966〜1027年):藤原摂関家の権力者で、宮中儀礼に雅楽を積極的に取り入れた
- 慈円(1155〜1225年):天台宗の僧で、雅楽に関する理論書『教訓抄』を著し、体系化に貢献
- 宮内庁式部職楽部(明治以降):国家機関として雅楽の保存・演奏・教育に尽力。現在の「宮内庁楽部」へと継承
現代では、東京藝術大学などでも雅楽の演奏・研究が行われており、若い世代への継承も進められています。
雅楽は日本の文化か?それとも外来文化か?
雅楽はその起源において中国・朝鮮半島にルーツを持つ「外来文化」ですが、日本に伝来して以降、完全に日本化されて独自の道を歩みました。
演奏体系・衣装・楽器の構成・舞の様式にいたるまで、日本の宮廷文化や宗教観、美意識と融合してきたため、現在では「日本の伝統文化」として国際的にも認識されています。
このように、日本文化の形成には外来文化の柔軟な取り入れが大きな役割を果たしています。それは能や歌舞伎にも共通する視点です(参考:能の歴史と芸術性、歌舞伎の起源と発展)。
現在の雅楽とその未来
雅楽は現在も、宮内庁楽部による演奏をはじめ、神社の祭礼や国賓歓迎の儀式、結婚式などで演奏されています。東京藝術大学には雅楽専攻があり、若い世代の育成も行われています。
また、国内外の音楽祭でも雅楽の演奏が披露されることがあり、日本文化としての認知度は徐々に高まっています。
より広く伝統芸能の全体像を知りたい方は、日本の伝統芸能まとめ記事もぜひご覧ください。
まとめ
雅楽は、1000年以上の歴史をもつ日本最古の音楽文化の一つです。その起源は中国や朝鮮半島にあるものの、平安時代以降は宮廷文化の中で独自の発展を遂げ、日本固有の芸術として確立されました。
「ただしい音楽」「美しい音楽」という名前が示す通り、雅楽は今なお、私たちの心に響く静謐な芸術です。
その音色にふれることで、日本の伝統と精神性の深さを実感できるでしょう。