うちわは中国から伝わった?いつからある?名前の由来は?うちわの起源と歴史をわかりやすく解説します。

うちわの歴史

夏になると、うちわが手放せなくなりますね。うちわは日本の夏の風物詩として長く親しまれてきましたが、その起源や歴史について詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。今回は、うちわの発祥地や名前の由来、そしてうちわを広めた人物について解説します。

スポンサーリンク

うちわの起源

うちわの起源は、中国にあると言われています。中国では、早くから竹や羽根を使った扇が使われていました。この扇が、奈良時代(710年〜784年)に日本に伝わったと考えられています。当時の扇は、主に貴族の間で儀式や舞踊に用いられていました。

平安時代(794年〜1185年)になると、扇子が日常的に使われるようになりました。『枕草子』や『源氏物語』などの古典文学にも、扇子を愛でる様子が描かれています。鎌倉時代(1185年〜1333年)以降は、武士の間でも扇子が広まり、合図や儀礼に用いられました。

うちわの名前の由来

「うちわ」という名前は、「打つ」と「輪」に由来すると言われています。「打つ」は、うちわで風を起こす動作を表し、「輪」は、うちわの形状を表しています。つまり、「うちわ」とは、輪の形をしたものを打ち振って風を起こす道具という意味になります。

江戸時代(1603年〜1868年)には、「団扇」という名前でも呼ばれていました。これは、うちわの丸い形状が団子に似ていることから付けられた名前です。

日本におけるうちわの発展

うちわは、中国から伝わった後、日本独自の発展を遂げました。室町時代(1336年〜1573年)には、京都の扇子職人が、絵柄を描いたり、金箔を施したりと、装飾性の高いうちわを作るようになりました。江戸時代には、浮世絵をうちわに印刷する技術が発達し、美しい絵柄のうちわが大量に生産されるようになりました。

また、江戸時代には、うちわが庶民の間でも広く使われるようになりました。夏の風物詩として、うちわを手に納涼する様子が浮世絵にも描かれています。現在でも、日本の夏には欠かせないアイテムとなっています。

うちわを広めた人物

うちわを広めた人物として、江戸時代の実業家である渋沢栄一が知られています。渋沢栄一は、1873年に東京・日本橋で扇子問屋「伊場仁商店」を開業し、うちわの大量生産と販売に尽力しました。彼は、海外への輸出も手掛け、日本のうちわを世界に広めた功績があります。

また、明治時代(1868年〜1912年)には、新聞社や企業が広告宣伝用のうちわを配布するようになり、うちわの普及に拍車がかかりました。現在でも、イベントや店舗の宣伝用として、うちわが活用されています。

まとめ

うちわは、中国から伝わり、日本で独自の発展を遂げた日本の夏の必需品です。平安時代から貴族文化に取り入れられ、江戸時代以降は庶民の間でも広く愛されるようになりました。「うちわ」という名前は、その形状と使い方を表しています。日本のうちわ文化は、美しい絵柄や装飾性の高さが特徴です。渋沢栄一をはじめとする人々の尽力により、うちわは国内外に広まりました。この夏も、うちわを手に涼を感じてみてはいかがでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました