夏になると、うちわが恋しくなる季節。縁側でパタパタとあおぐその姿は、日本の夏の風物詩ともいえる光景です。でも、「うちわってそもそもどこから来たの?」「いつから日本で使われているの?」と、ふとした疑問を感じたことはありませんか?
この記事では、うちわの起源、名前の由来、日本での広まり、そして意外な関係者まで、うちわの歴史をわかりやすく紹介します。
結論:うちわは中国から伝来し、日本で独自進化を遂げた夏の定番アイテム
うちわは古代中国から伝わり、日本では奈良時代以降に貴族文化に取り入れられ、江戸時代には庶民にまで広まりました。団扇(うちわ)の語源は「風を打ち出す輪」の意。明治期以降には宣伝用としても普及し、現在も日本の夏を象徴する道具のひとつです。
うちわの起源は中国にあり
うちわのルーツは、中国にさかのぼります。紀元前の中国では、羽根や竹を使った扇(おうぎ)が使用されていました。それが日本に伝わったのは奈良時代(710年〜)とされ、当初は儀礼用の道具として貴族階級の間で使われていました。
日本最古のうちわの記録としては、正倉院に所蔵されている「翳(さしば)」と呼ばれる儀礼用の大型うちわがあります。これも中国の影響を受けて作られたものと考えられています。
うちわという名前の由来
「うちわ」という言葉は、「打つ(あおぐ動作)」+「輪(形状)」が合わさったものとされています。つまり、「輪の形を打ち振って風を起こす道具」という意味合いです。
また、江戸時代には「団扇(だんせん)」という表記も使われており、丸く団子のような形に由来して名づけられたともいわれています。
日本における発展と普及の歴史
平安時代になると、扇子(折りたたみ式)と並行して、固定型のうちわも使用されるようになりました。『枕草子』や『源氏物語』といった文学作品にも、うちわや扇の描写が登場します。
鎌倉時代〜室町時代には、うちわに絵柄を施すなど装飾性が高まり、芸術品としての側面も強くなっていきました。
江戸時代になると、庶民の間にも急速に広がります。特に浮世絵を使った団扇絵が人気を博し、納涼や祭り、贈答品として重宝されました。これは現代の広告うちわの原型ともいえる存在です。
広めた立役者・渋沢栄一の関与
明治時代には、あの渋沢栄一が「伊場仁商店(いばにしょうてん)」という扇子問屋の経営支援を通じて、うちわの産業化を後押ししました。彼は輸出事業にも力を入れ、日本の伝統工芸品としてのうちわを世界に広める一翼を担いました。
「伊場仁商店」を創業したのは別の人物ですが、渋沢はその近代化・経営改革に大きく貢献したとされます。
現代のうちわの役割とデザイン
現在のうちわは、実用性に加えてデザイン性も重視され、以下のような用途があります。
- 夏の涼感アイテム
- 熱中症対策にも一役買う
- 広告・ノベルティ
- 夏祭りや企業イベントで無料配布
- 伝統工芸・インテリア
- 京うちわ、丸亀うちわなど地域色豊か
特に最近は、環境意識の高まりとともに、プラスチック製から紙製・竹製への回帰も進んでいます。
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まとめ
うちわは、単なる道具ではなく、日本の気候や文化、美意識と深く結びついた伝統的な存在です。中国から渡来し、日本で進化したこの「涼のアイコン」は、これからも世代を超えて愛され続けるでしょう。
現代の暮らしにもぴったりな、伝統的で美しいうちわを使って、夏をもっと快適に楽しんでみてはいかがでしょうか。