3分でわかる!「すすきの」の名前の由来と歴史

札幌の夜景

1. すすきのとは

すすきのは、北海道札幌市中央区にある日本最大級の歓楽街です。約3,900軒の飲食店が集中し、国内外から多くの観光客が訪れる人気スポットとなっています。その範囲は、広義では東西が西1丁目から西9丁目の間、南北が南3条から南8条の間とされています(札幌市資料による)。

2. 名前の由来

「すすきの」の名前の由来には、主に2つの説があります:

  • 工事監事「薄井龍之」の姓に由来するという説
  • この一帯が「茅野(すすきのの別称)」だったことから名付けられたという自然地名説

薄井龍之説については、札幌の歴史研究者である脇哲氏の「物語・薄野百年史」(1970年)に詳しく記されています。この説によると、開拓使判官の岩村通俊が遊廓設置の際、工事監事であった薄井龍之の姓を取って命名したとされています。

一方、自然地名説は1869年(明治2年)の地図で、札幌一帯が「茅野」と記されていたことに基づいています。「札幌市史」(1958年)にもこの説が紹介されています。

両説とも決定的な証拠に欠けるため、現在も議論が続いています。

3. すすきのの歴史

明治時代:官許遊廓の設置

1871年(明治4年)、岩村通俊判官の命により、現在の南4、5条西3、4丁目の2町四方に官許遊廓が設置されました。これが「すすきの」の始まりとされています(札幌市史より)。

1872年(明治5年)には、官費による妓楼「東京楼」が設置され、東京から遊女21名、芸者3名が来札しました。これにより、すすきのは札幌の歓楽街としての基礎を築きました。

大正時代:遊廓の移転と変容

1920年(大正9年)、札幌市の人口増加と市街地の拡大により、遊廓は白石へ移転しました。しかし、遊廓跡にはカフェ・バーなどの飲食店が立ち並び、すすきのは新たな形での発展を始めました。

昭和時代:戦後の変化と発展

戦後、進駐軍の影響もあり、キャバレーやバー、ダンスホールが次々と誕生しました。1950年(昭和25年)には「新世界商店街」が誕生し、翌年には銀座通り(後の薄野銀座街)が形成されました。

高度経済成長期には、大型キャバレーチェーンの進出が相次ぎました。例えば、1973年にオープンした「エンペラー」は、最盛期にはホステス約300人を抱える大型店として知られました(北海道新聞資料より)。

平成時代以降:バブル崩壊後の変化と課題

バブル経済崩壊後、大型キャバレーの閉店が相次ぎ、代わってより気軽なキャバクラなどが増加しました。2005年には「ススキノ条例」が施行され、風俗営業の規制が強化されました。

近年では、インバウンド観光の増加に伴い、多言語対応の店舗や、外国人観光客向けのサービスが増えています。一方で、地域住民との共生や、夜間の騒音問題など、新たな課題も浮上しています。

4. 現代のすすきのの課題と展望

現在のすすきのは、観光地としての側面が強くなる一方、地域コミュニティとの調和や、風紀維持の問題に直面しています。札幌市の調査(2019年)によると、すすきの地区の来街者の約30%が観光客となっており、国際的な観光地としての機能が高まっています。

今後の展望としては、エンターテイメント性の高い施設の誘致や、文化的イベントの開催など、多様な魅力を持つ街づくりが検討されています。また、新型コロナウイルス感染症の影響からの回復も大きな課題となっています。

まとめ

すすきのは、札幌の開拓とともに生まれ、150年以上の歴史を持つ歓楽街です。時代とともに姿を変えながらも、常に北海道を代表する繁華街として発展を続けてきました。今後も、観光と地域の調和を図りながら、新たな魅力を創出し続けることが期待されています。

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