はじめに
「童話」と聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのはグリム童話ではないでしょうか。赤ずきん、白雪姫、ヘンゼルとグレーテル──これらの物語は世界中で愛され続けています。
しかし冷静に考えると不思議です。童話はグリム童話だけではありません。日本の昔話もあれば、アンデルセン童話もあります。それなのに、なぜか「童話」という言葉から連想されるのはグリムなのです。
この理由を紐解くと、童話の読み方が少し変わり、より楽しくなるかもしれません。
結論:グリム童話が定番になった理由
グリム童話が「童話の代表」として定着したのは、昔話を集めて編集した「定番セット」が世界中に翻訳され、学校教育や児童書の流通に乗って繰り返し読まれたからです。ユネスコの世界記憶遺産の解説でも、グリム童話が世界的に広く流通し、多数の言語に翻訳されている点が強調されています。
もうひとつ重要なのは、グリム童話は一度で完成した本ではなく、その後何度も改訂増補されているという点です。私たちが今読んでいる内容は、初版そのままではない場合が多いのです。
グリム童話が童話の代表格になった4つの理由
グリム童話が童話の代名詞となった背景には、大きく分けて4つの理由があります。
1. まとまったコレクションとして流通し続けた
グリム童話は単なる面白い物語の集まりではなく、体系的に編集された作品集として出版され、長期間にわたって流通し続けました。この継続性が、定番としての地位を確立する要因となりました。
2. 翻訳の層が厚く、世界中で読まれた
グリム童話は世界中で翻訳され、最大公約数として多くの人々に受け入れられました。ユネスコによれば、160以上の言語や方言に翻訳されているとされています。この圧倒的な翻訳数が、グリム童話の普遍性を支えています。
3. 子ども向けの形に整えられ、児童書として普及した
グリム童話は最初から子ども向けの本として作られたわけではありません。しかし、版を重ねるごとに子どもが読みやすい形に整えられ、児童書市場で広く普及しました。この児童書化のプロセスが、グリム童話を「童話の定番」へと押し上げたのです。
4. 映像化や再話で知名度が積み上がった
ディズニー映画をはじめとする映像化や舞台化により、グリム童話由来の物語はさらに広がりました。こうしたメディア展開が、世代を超えた知名度の蓄積につながっています。
ここで重要なのは、「グリム童話が最も古いから代表になった」という単純な話ではなく、流通の仕組みで勝利したという点です。
グリム兄弟は創作者ではなく編集者
よくある誤解として、「グリム兄弟が物語を創作した」というものがあります。
しかし実際には、グリム兄弟は各地に伝わる口承の物語を収集し、編集して本にまとめた人たちです。全米人文科学基金(NEH)の解説でも、グリム兄弟が口承の物語を集めることで民俗学に大きな影響を与えたことが語られています。
ただし、単なる記録者ではなく、文章を整えたり、表現を変えたり、場合によっては話の構成を変えたりといった編集作業も行っています。そのため、読者からは「作者」のように見える面もあり、ここが混乱の元となっています。
版が違うと内容が違う理由
グリム童話の初版は1812年と1815年に2巻で刊行されました。その後、1819年から1857年の間に複数回の改訂増補が行われたことが、ブリタニカ百科事典にも明記されています。
そのため、同じ「赤ずきん」でも、読む版によって次のような違いが生じます。
- 狼の描写が異なる
- 結末の処理が異なる
- 登場人物の立ち位置が異なる
これは「どれが正しい」という問題ではなく、「どの版に基づいているか」の違いなのです。
よくある落とし穴
グリム童話を読む際、次のような誤解が生じやすいので注意が必要です。
- 子ども向けの再話版を読んで、それを原典だと思い込んでしまう
- 翻訳者がどの底本を使ったか確認せずに、内容の違いに戸惑う
こうした違いが気になる方は、訳者あとがきを読むことをお勧めします。底本や編集方針が書かれていることが多く、「なぜ違うのか」が理解できるようになります。
日本でグリム童話が広まった背景
日本では、明治期からグリム童話が受容されてきました。その過程では、教材や教科書としての採用が大きな役割を果たしています。
例えば、野口芳子氏の研究では、ドイツ語教科書に採用されたグリム童話について詳しく調べられています。また、須田康之氏の研究では、日本におけるグリム童話の受容と変容が扱われています。
つまり、グリム童話は単に「面白い読み物」として自然に広がっただけでなく、学びの素材として取り入れやすかったというルートも重なって、定番として定着しやすかったと考えられます。
「童話らしさ」を作ったのは誰か
私たちが思い浮かべる「童話らしさ」──優しい語り口、子どもが読める結末、挿絵のついた本の形式──は、実はグリム兄弟だけで完結したものではありません。
次のような要素が積み重なって、現在の「グリム童話らしさ」が形作られました。
- 版を重ねる改訂作業
- 翻訳者による言葉選びと表現の工夫
- 児童書としての再話・編集
- 映像化や舞台化による再解釈
こうした多層的なプロセスを経て、グリム童話が「童話の代表」として見える姿ができあがったのです。
グリム童話とアンデルセン童話の違い
同じく有名な童話作品として、アンデルセン童話があります。両者の違いを簡単に比較してみましょう。
| 項目 | グリム童話 | アンデルセン童話 |
|---|---|---|
| 基本的性格 | 収集と編集が中心 | 創作童話が中心 |
| 版の揺れ | 版や再話で差が出やすい | 作品として比較的固定されやすい |
| 読まれ方 | 昔話の定番セットとして流通 | 作家作品として読まれやすい |
この違いを理解すると、それぞれの童話の特徴がより明確に見えてきます。
よくある質問(FAQ)
Q1. グリム童話は最初から子ども向けだったのですか?
いいえ、当初は子どもが一人で読む前提の本ではありませんでした。収集と保存という学術的な性格が強かったという指摘が、NEHや研究記事で語られています。子ども向けの要素は、版を重ねるごとに強化されていきました。
Q2. グリム童話に残酷な話が多いのはなぜですか?
口承の昔話には、恐怖や罰を通じて教訓を伝える面があります。また、版の改訂で子ども向けに調整された部分もあるため、どの版に触れたかによって印象が大きく変わります。
Q3. グリム童話は本当に世界的に有名なのですか?
ユネスコの解説によれば、グリム童話は160以上の言語や方言に翻訳されています。聖書に次ぐ翻訳数とも言われ、その普及度は圧倒的です。
まとめ:グリム童話が定番になった本当の理由
「童話といえばグリム」という認識は、あなたの思い込みではありません。世界的な翻訳と流通、児童書としての普及、そして改訂の積み重ねによって、そう見える形が作られてきた結果なのです。
次にグリム童話を読む機会があれば、ぜひ訳者あとがきで底本と編集方針を確認してみてください。同じ「白雪姫」でも、どの白雪姫を読んでいるかが分かれば、モヤモヤとした違いが意味のある違いとして理解できるようになります。
参考文献
- UNESCO Memory of the World: Kinder- und Hausmärchen
- Encyclopaedia Britannica: Grimm’s Fairy Tales
- National Endowment for the Humanities: How the Grimm Brothers Saved the Fairy Tale
- 野口芳子「独逸語教科書に採用されたグリム童話」
- 須田康之「日本におけるグリム童話の受容と変容」


