こんにちは、今回は「永久欠番って何?」という疑問にお答えしていきます。
永久欠番とは?基本を押さえよう
永久欠番(えいきゅうけつばん、英語:retired number)とは、多大な功績を残した人物の使用した番号を、その栄誉と栄光の歴史を末永く称えるために、団体内で今後誰にも使用させない制度です。
永久欠番が生まれる理由
- チームへの多大な貢献
- 記録達成や功績
- 不慮の事故や早すぎる死
- ファンへの影響力
野球界における永久欠番の歴史
世界初の永久欠番誕生
野球界における永久欠番の歴史は1939年、MLBアメリカン・リーグのニューヨーク・ヤンキースでルー・ゲーリッグの「4」が欠番となったことに始まります。当時ゲーリッグは、現代でも不治の病とされる筋萎縮性側索硬化症(ALS、死後「ルー・ゲーリッグ病」とも呼ばれる)で引退を余儀なくされました。
日本での始まり
日本のプロ野球では、読売ジャイアンツの黒沢俊夫の「4」と沢村栄治の「14」が1947年7月9日に史上初の永久欠番として指定されました。黒沢は1947年6月23日に腸チフスにより33歳の若さで急死。沢村は1944年に戦死していました。なお、この時点でMLBで永久欠番に指定されていたのはゲーリッグの「4」とハッベルの「11」のみでした。
印象的な永久欠番物語
MLBの「42」- 歴史的な取り組み
1997年4月15日、MLBは人種の壁を破ったジャッキー・ロビンソンの功績を讃え、マイナーリーグを含む全てのチームで背番号「42」を永久欠番としました。指定時点で既に「42」を使用していた選手には例外規定が設けられ、2013年シーズンに引退したヤンキースのマリアノ・リベラを最後に、この番号は完全に引退することとなりました。
日本プロ野球の代表的な永久欠番
読売ジャイアンツ
- 背番号1:王貞治(1989年3月16日指定)
- 1980年の現役引退後も、助監督・監督時代(1981年-1988年)に使用
- 背番号3:長嶋茂雄(1974年11月21日指定)
- 第2期監督時代の2000年-2001年にも使用
- 背番号4:黒沢俊夫(1947年7月9日指定)
- 日本野球界初の永久欠番の一つ
- 背番号14:沢村栄治(1947年7月9日指定)
- 日本野球界初の永久欠番の一つ
広島東洋カープ
- 背番号3:衣笠祥雄(1987年9月21日指定)
- 背番号15:黒田博樹(2016年11月1日指定)
- 2008年のMLB移籍から2015年に広島復帰するまでも欠番
よくある疑問にお答え!
Q1: 永久欠番は必ず決まるの?
A1: いいえ。チームごとの判断で、とても厳格な基準があります。例えば、野球殿堂入りや、チームが定める在籍年数などの条件を設けているチームもあります。
Q2: 一度永久欠番になったら、もう使えないの?
A2: 基本的にはその通りですが、例外もあります。監督就任時に元の番号を使用するケースや、近鉄バファローズの鈴木啓示の「1」のように、チーム合併で解消されたケースもあります。
まとめ
永久欠番は、単なる数字の封印ではありません。そこには選手の輝かしい功績、チームメイトやファンの深い愛情、そして時には悲しい物語が刻まれています。スタジアムで永久欠番の展示を見かけたら、ぜひその背景にある感動的なストーリーに思いを馳せてみてください。